禅のお坊さんでクリスチャン

キリスト教信仰のために、仏教徒や仏教の一般的な僧以上に坐禅に取組んで広めた神父がいます。その坐禅についてのとらえ方を知ると、坐禅、集中の瞑想とはどういうものか、大事なことを知る貴重な手がかりになります。

フーゴ・ラサール神父

ラサール神父(1990年没)は、ドイツ生まれのカトリック教会の司祭です。広島の幟町教会で原爆の投下に会い被爆したことで、犠牲者への慰霊のためと世界平和を目指した祈念の場の必要性を痛感し、広島の世界平和記念聖堂の建設に尽力したことでも知られています。

日本文化に対する造詣が深く、1948年に日本に帰化し日本名は愛宮真備(えのみや まきび)と言います。そして日本人の霊性への関心から禅宗に深い興味を持ち参禅し、さらにキリスト教関係者にも積極的に坐禅を勧め、ドイツなどで普及しカトリック禅ともいえる新境地を開拓しました。

ラサール神父が坐禅を宗教的な枠組みを越えて宗教生活に取り入れたのは、津和野の永明寺での参禅会がきっかけでした。参禅の動機はキリスト教伝道のためにまず日本人の伝統的霊性を知ることでしたが、禅を実体験してキリスト教の黙想や観想という修徳の方法との共通性を感じました。

ラサール神父は、坐禅を次のように考えていました。

完全な自己放棄状態になることで神と人との合一を目指す、神からの啓示を直接受けようというキリスト教神秘主義思想にいう観想への準備として、坐禅は、ひじょうに効果的、物質的な豊かさに振り回される現代人にとって優れた実践的瞑想法である。

そして、1956年に、まず曹洞宗僧侶の原田祖岳(1961年没 /駒澤大学教授)のもとで、続いて、原田祖岳の法系を受け継ぐ山田耕雲のもとで本格的な修行をし、1961年に広島市の郊外に禅道場の「神冥窟(しんめいくつ)」を建設して信者に坐禅を指導するようになりました。

ラサール神父の師の山田耕雲には「禅は宗教ではない」との言葉もありますが、ラサールは神と個我の間にある障害を取り除き、神の意志をより直接的にいただく準備として坐禅を活用しました。

悟りとは、自己を完全に放棄して、存在そのものと一体となる自然的神秘体験で、目標ではなく出発点である。

としています。

クラウス・リーゼンフーバー

クラウス・リーゼンフーバー(2022年没)は、ドイツ出身のカトリック司祭で、上智大学名誉教授、同大学中世思想研究所元所長でした。1970年にラサール神父の「神冥窟」で参禅してから坐禅を深めるようになりました。

リーゼンフーバー神父の著書の裏表紙に、次のように紹介文が掲載されています。

-心の真ん中が不動になり、心と頭が一つに統一されて、ひたすら「いる」ことが坐禅である。著者は「今、全く静かになって中から新たになる」と言う。

坐り無心になり背骨を伸ばし心をまっすぐにし意識と呼吸を一つにして自分自身を見つめる。そして自分を越えて大いなるものに出会い、その経験を通して信仰の神秘と救いがもたらされる。

禅は悟りだけでなく、自分自身と出会うための普遍的な作法でもある。

リーゼンフーバー師が、無心の自己を通して出会い、触れた、神やキリスト、そして聖霊との対話の数々が語られる。さらに聖書の言葉や教父の思索が全編に散りばめられ、信仰と希望と愛に支えられた世界に読者を誘ってくれるだろう。